「𠮟らない教育」は「善悪」を教えないという事

「叱らずに褒めて伸ばそう」

近年、子育てや犬のしつけの現場でよく耳にする言葉です。ポジティブな関わり方自体はとても素晴らしいことですし、むやみに感情をぶつける「暴力的な怒り」を無くしていく流れは大切なことです。

しかし、もし「叱らない=どんな行動に対してもネガティブなフィードバック(制止やダメの指示)を一切与えない」という意味で捉えているとしたら、そこには大きな罠が存在します。

まずは前提として、私たちが教えようとしている「善悪」の定義から整理してみましょう。

そもそも「善悪」とは何か?――個人と社会の2つの視点
「善悪」という言葉は、大きく2種類に分けて考える必要があります。

1. 個人の善悪(主観的・本能的)
定義: 自分にとって「快か、不快か」
特徴: 本能や欲求に基づいた行動基準
具体的な例: 落ちているご飯を食べたい、他人に飛びついて遊びたい、欲しいものを横取りしたい

2. 社会的な善悪(客観的・規範的)
定義: 他者と共存するための「ルール・枠組み」
特徴: 群れや社会の安全・安心を守るための境界線
具体的な例: 車道への飛び出し禁止、無闇な攻撃の禁止、人の物を勝手に取らない

ここで重要なのは、個人の善(自分にとって快感・やりたいこと)の多くは、社会的には「悪(やってはいけないこと)」になり得るという事実です。

「叱らない教育」だけで「社会的な善悪」を教えようとすることには、行動科学の構造上、決定的な限界があります。


なぜ「叱る・制止する」を排除できないのか?3つの理由

1. 「褒め」だけでは「禁止(社会的な悪)」の概念が生まれない
「正の強化(褒める)」で教えられるのは、どこまで行っても「それをやるとお得だよ」という選択肢の推奨です。一方で、「それをやるのは絶対不可(悪・禁止)」という社会的な境界線ではありません。
褒める教育(正の強化):「Aをするとおやつ(ご褒美)がもらえる」=得
禁止の教育(負のフィードバック):「B(噛む・飛び出す等)をすると不快・制止が起きる」=損・危険
「Bをしてはいけない」という禁止の概念は、行動の直後に「自分にとって不都合な結果」が返ってくるフィードバックなしには脳に形成されません。

片側のフィードバックだけで善悪を教えようとするのは、道路に「進め」の標識だけを置いて「止まれ」を完全に排除しているようなものです。これではどこで止まるべきかが分かりません。

2. 「個人の善(本能的快感)」は、褒めるだけでは止まらない
先述の通り、社会的に「悪(ルール違反)」とされる行動の多くは、本人の本能にとっては「最高の善(自己報酬的な行動)」です。

落ちているゴミを食べる(美味しい)
他人に飛びつく・噛みつく(楽しい・すっきりする)
走るバイクを追いかける(狩猟本能が満たされる)

これらは行動そのものがすでに強力な「ご褒美」になっているため、人間側が与える「おやつ(褒め)」よりも目の前の「本能的快感」の価値が上回った瞬間、褒めるだけのアプローチは完全に無力化します。
ここに「それをすると嫌なことが起きる(損をする)」という明確なブレーキ(制止・ペナルティ)をかけなければ、社会的なラインを守らせることはできません。

3. 社会的ルールとは「自由と安心」を得るための枠組み
本当の安心や安全は、「枠組み(ルール)を守るからこそ、その中で自由に振る舞える」という構造でできています。

「やってはいけないこと(社会的な悪)」を明確に示される(行動の限界・壁を知る)
その壁の内側にいる限り、自由に安心して過ごせる(本当の信頼と社交性が育つ)
「叱る(ダメを示す)」ことを悪と決めつけて排除することは、子供や犬から「社会の正確な地図(どこまでが安全で、どこからが危険か)」を奪うことと同じです。

結果として、「何がダメなのか」が分からない状態になり、常に手探り状態を強いられ、かえって強い不安とストレスを抱え込むことになってしまいます。

よくある反論:「違う行動に誘導して褒めればいいのでは?」

ここでポジティブトレーニング派からは「ダメと叱らなくても、おすわりなどの別の行動に誘導して褒めれば解決する(代替行動の強化)」という反論がよく挙がります。

一見理にかなっているように見えるこのアプローチですが、実践と行動科学の観点からは3つの大きなリスクが存在します。

① 「本能的快感(個人の善)」には勝てない
走るバイクへの執着や他の犬への威嚇など、脳内でドパミンやアドレナリンが大量放出される強力な本能的行動の前では、「誘導でもらえるおやつ」の価値が負けてしまいます。「おやつ<<<<本能の快感」となった瞬間、どれだけ優秀な誘導も届かなくなります。

② 「悪い行動とおやつ」がセットで学習される
「飛びつこうとする ➔ 焦った飼い主が『おすわり』と誘導する ➔ 座っておやつをもらう」という流れを繰り返すと、脳は「飛びつこうとすれば指示が出ておやつがもらえる」と解釈します。結果として、ご褒美をもらうためにわざと悪い行動を起こす連鎖(Behavior Chain)が生まれます。

③ 緊急時の「一瞬のブレーキ」にならない
車道への飛び出しや毒物の誤飲など、一秒を争う場面で「誘導して指示を聞かせる」というプロセスを踏む時間的余裕はありません。衝突しそうな時にナビの目的地を変更するのではなく、一瞬で行動をキャンセルさせる「急ブレーキ(制止の学習)」が物理的に不可欠です。

おわりに:「ブレーキ」があるから、安心して走れる
社会的な善悪やルールを学ぶということは、「やると良いこと(褒め)」で方向を示し、「やってはいけないこと(叱る・制止)」で枠組み(ガードレール)を固定する作業そのものです。
「叱る・制止する」というフィードバックをすべて排除して社会性を教えようとするのは、「ブレーキのない車にナビだけ積んで、安全に走れ」と言っているようなものであり、教育論としても行動科学としても成立しません。

「叱る」とは、感情をぶつけて叩きのめすことではありません。

「ここから先は危険だよ」と明確な境界線を引き、社会という広い世界で安全に生きていくための「ブレーキの踏み方」を教えてあげることです。

ポジティブな肯定(アクセル)と、適切な制止(ブレーキ)。

その両方があるからこそ、私たちは大切な家族(子供や愛犬)に「本当の自由と安心」を与えられるのではないでしょうか。

2026年09月12日